光と影の先へ:小栗久美子が広げるベトナム音楽の“今”
Sebastian Wright
Published Sep 01, 2026
小栗 久美子(おぐり くみこ)は、ベトナム語の学びを音楽へ接続し、トルン(ベトナム竹琴)の“音の通訳”として歩んできた人物だ。東京外国語大学で専門を磨き、各地で講師経験を重ね、国際舞台ではベトナムの要人を前に演奏も行った。
ベトナム語の専門家としての訓練と、トルン奏者としての鍛錬が重なり合う点に、小栗 久美子の活動の核があります。国内では学生サークルの設立・指導、国際では公演や御前演奏、そしてオリジナル曲のアルバム制作まで——音楽が文化を移動させる力を示す存在として注目されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 小栗 久美子(Oguri Kumiko) |
| 専門分野 | トルン(ベトナム竹琴)奏者、ベトナム語関連 |
| 学歴 | 東京外国語大学卒業→同大学院修了 |
| 音楽の軸 | 幼少期からピアノ、13歳でマリンバ、大学時代からトルンへ集中 |
| 指導・教育 | 神田外語大学で学生トルンサークル「KUISトルンアンサンブル」指導 |
| 国際活動 | ベトナム大使館やベトナム航空に招かれ、国家主席・書記長の祝賀会で御前演奏 |
| 役職・所属 | 日本トルン協会副理事・奏者代表/マリンバ北星会/日本木琴協会/北京マリンバ協会名誉会員 |
小栗 久美子:ベトナム語とトルンが一本の線でつながる理由
小栗 久美子の歩みは、音楽家の伝記として読むこともできるが、見落とせないのは“言葉”の存在だ。ベトナム語を学び、東京外国語大学の学部と大学院で専門を深めたことは、トルン演奏の意味を別の角度から支えている。
ベトナム音楽は、単に楽器の技術だけで成立していない。地域のリズム、儀礼の文脈、演奏者同士の会話——そうした背景にアクセスするには、言語が近道になることがある。小栗 久美子は、幼少期のピアノや中高期のマリンバで培った“聴く耳”を土台に、大学時代からトルンへ没頭しながら、その土台を広げていった。
13歳でマリンバに出会い、そしてトルンに向かったという順番は象徴的だ。マリンバの音量と響きは、トルン特有の竹の乾いた反射とは別の個性を持つ。それでも、その段差を乗り越える過程で、彼女の音は“ベトナムらしさ”に寄っていった。
幼少期の音の記憶:ピアノ、マリンバ、そしてトルンへの集中
音楽の習慣は、才能だけでは続かない。小栗 久美子が幼少期からピアノを学び、マリンバに移ってからは13歳という早いタイミングで新しい打楽器の言語を覚えたことが、後の専門化を支えた。
マリンバは、運指の正確さと音の均一さが問われる。ここで作った基礎が、のちにトルンへ移ってからも役に立った可能性は高い。トルンは、複数のパートが絡み合うアンサンブルとしての性格が強い。単音の“正確さ”より、全体の“呼吸”をそろえる感覚が重要になる。
彼女は大学時代からトルンの演奏に集中したとされる。学問と同じく、音楽もまた積み重ねが勝負を決める。そのため、トルン奏者としての専門性ができあがるまでに、時間をかけた選択があったのだろう。
ベトナムの現場を歩く:講師経験が“奏者”を形にする
小栗 久美子の活動で特筆すべきは、ベトナムの各地で講師体験を重ね、トルン奏者としての専門性を確立していった点だ。演奏の経験だけでなく、教える経験は、音楽の理解を一段深くする。
講師の現場では、同じ曲でも“聴き方”や“身体の使い方”が異なる。生徒のつまずきに合わせて説明を組み替える力が必要になる。そこにベトナム語の素地が加わると、演奏の背後にある考え方まで共有しやすくなる。
結果として、小栗 久美子はトルンを「鳴らす人」から、「伝える人」へと役割を広げていった。これはのちの国内外の公演や、教育活動にもつながっていく。
国際舞台での御前演奏:ベトナム大使館・ベトナム航空の招待
小栗 久美子の名前が国際的に広がる契機として語られているのが、ベトナム大使館やベトナム航空からの招待だ。そこで、国家主席・書記長の祝賀会での御前演奏が行われたとされる。
こうした場面は、単なる“出演”とは違う重みを持つ。儀礼性の高い舞台では、曲目の選定や演奏のテンポ感、スタッフとの段取りなど、音だけではなく運用全体が問われる。トルンの音色が、会場の空気にどう溶けるかも重要になる。
彼女のように、ベトナム語を学んだ上でトルンを武器にする奏者は、現地の文化側と意思疎通しながら準備を進められる。音楽が国境を越えるとき、こうした“関係構築の力”が見えないところで効いてくる。
アルバム制作:1stのオリジナル曲、2ndはハノイで共同制作
演奏家としての活動が、レコードや配信にどう結実するかは評価の分かれ目になる。小栗 久美子はオリジナル曲を収めた1stアルバムをリリースしたとされる。ここで重要なのは、単なる既存曲の再現ではなく、自分の音楽観を形にしている点だ。
さらに2ndアルバムについては、ハノイでベトナム人奏者と共に制作したとされる。制作の場所が海外であること自体が意味を持つ。現地の奏法やアンサンブルの感覚に触れられるだけでなく、同じ曲でも“置き方”が変わることがある。
国際的な制作経験があると、次の公演では説得力が増す。現場で確かめた間合いは、舞台での判断に直結するからだ。音楽が文章のように積み重なるなら、アルバム制作はその“ページを残す行為”になる。
教育の現場へ:神田外語大学「KUISトルンアンサンブル」指導
音楽活動が長く続く人ほど、若い世代に手渡す動きが欠かせない。小栗 久美子は神田外語大学で、日本初の学生トルンサークル「KUISトルンアンサンブル」を指導しているとされる。
ここで注目したいのは“学生が始める”仕組みが作られたことだ。社会人の指導は一度きりになりがちだが、サークルは継続して人が入れ替わる。だからこそ、最初の設計が重要になる。トルンは器材の準備や保管にも工夫が必要で、音合わせの手順も固める必要がある。
彼女が大学講師として、国内外の学生にトルン演奏を普及していることも、音楽ジャンルの地盤づくりとして見逃せない。日本国内でトルンを学びたい学生にとって、まず必要なのは導線だ。サークルという形は、その導線そのものになる。
メディア出演が担う役割:TBS、NHK、J-WAVEでの紹介
トルンの知名度を上げるには、演奏会の動員だけでは届かない。小栗 久美子はテレビ・ラジオの多数出演(TBS、NHK、J‑WAVE等)を行い、ニュース誌や文化面情報誌でも紹介されてきたとされる。
メディアでの露出は、音楽そのものの魅力を“短い時間”で伝える仕事でもある。視聴者の理解度に合わせて、演奏の見せ方や背景の説明を調整する必要がある。その調整ができる奏者は、ジャンルの入口を広げられる。
文化の紹介では、誇張より正確さが信頼につながる。ベトナム語を専門に持ち、現地の文脈も理解しているからこそ、紹介の精度が上がっている可能性は高い。
団体での立場:日本トルン協会副理事・奏者代表として
小栗 久美子は日本トルン協会の副理事・奏者代表を務めているとされる。団体での役割は、個人の演奏活動とは別の負荷がある。公演の企画、会員間の情報共有、教育の枠組み作りなど、目に見えにくい仕事が多いからだ。
また、マリンバ北星会会員、日本木琴協会会員、北京マリンバ協会名誉会員という複数の所属・称号も挙げられている。異なる楽器文化の場に関わることで、トルンの位置づけを広い比較軸で捉えられる。
トルンは竹琴として知られつつも、実際にはアンサンブルの設計やリズムの運用が肝になる。協会の活動を通じて、その理解を共有していくことができれば、日本国内の学習者も増えやすい。
小栗 久美子の“現在”:文化移動としてのトルン
小栗 久美子の活動を貫くのは、トルンを「固有の音」として鳴らしつつ、同時に“文化を移動させる媒体”として扱う姿勢だ。ベトナム語の専門性は、その移動を誤差の少ない形で実現させる土台になっている。
演奏は一度きりで終わりうる。しかし、彼女の歩みには継続の仕掛けが見える。講師経験、学生サークルの指導、国際舞台での御前演奏、オリジナル曲を含む1stアルバム、ハノイでの共同制作による2ndアルバム、そしてTBS・NHK・J‑WAVEといったメディアでの紹介。点ではなく線になっている。
“小さな音”に見える竹琴の一滴が、国境を越える瞬間。そこに何が必要かを考えると、技術だけでなく、言葉と現場がある。小栗 久美子は、その両方を手にした稀有な奏者として存在感を増している。
Frequently Asked Questions
小栗 久美子はどんな分野で活動していますか?
トルン(ベトナム竹琴)の奏者としての活動に加え、東京外国語大学でのベトナム語の学びを背景に、教育やメディアでの紹介、国際舞台での演奏など幅広く関わっています。
小栗 久美子の学歴は?
東京外国語大学を卒業し、その後同大学院を修了したとされています。
トルン以外に演奏経験はありますか?
幼少期からピアノを学び、13歳でマリンバを経験した後、大学時代からトルンの演奏に集中したと伝えられています。
国際的な活動にはどんな実績がありますか?
ベトナム大使館やベトナム航空の招待により、国家主席・書記長の祝賀会で御前演奏を行ったとされています。また、ハノイでベトナム人奏者と2ndアルバムを制作したとも報じられています。
教育面での取り組みはありますか?
神田外語大学で学生トルンサークル「KUISトルンアンサンブル」を指導しているとされ、日本初の学生サークルとしてトルン普及に取り組んでいます。